私の感想をいうとこの映画のタイトルは『He Is Legend』じゃないの?そんな違和感が見終わったあとやってきました。
どうしてタイトルが『I Am Legend』なのか。蝶がでてくる意味とは。個人的な考えをまとめてみました。
※感想記事というより解説記事なので【本エンディング版】【別エンディング版】【小説版】これらの最初からネタバレしています。
いったい『伝説』なのはだれ。
結論からいうと『伝説』なのは主人公ネビルのことです。それはそうだろうとは思いますが、どうして「I Am」なのかがひっかかります。
原作の小説「I Am Legend」の最後でネビルは自分が”伝説の男”だと呼ばれていることに気づくから。
この映画には原作となった小説「I Am Legend」(邦タイトルは地球最後の男)があります。
私もまだ読めていないので、ウィキペディアから小説版あらすじを参考してまとめさせてもらいますが、映画とはまったく違う展開です。
世界中に人間を吸血鬼化させるウィルスがひろがり、ただ1人生き残った男ロバート・ネビル。吸血鬼を退治しながら、ウィルスを根絶させるための研究を孤独に続けている。
結局ネビルは吸血鬼の軍団に捕まり、処刑されることになる。
しかし吸血鬼たちが自分を見る目が明らかに恐怖であることを感じ取る。
ようやくネビルは『自分こそが彼らにとっての伝説の怪物である』ことに気づくのだった。
ざっくりまとめるとこんな感じ。
小説版『アイ・アム・レジェンド』は、価値観の逆転がテーマとのことです。
ネビルは吸血鬼こそ悪であると信じていましたが、実は吸血鬼たちは新人類であり、あちらからみたら吸血鬼を捕まえて実験体にしているネビルこそ悪だった、という終わり方。
結論:主人公らしくないタイトルが見た人々の興味を生んでいるのではないか。
アイ・アム・レジェンド、というタイトルはネビル博士の性格上、『俺が伝説だ!!』なんていわないでしょう。
そんな傲慢な人ではない。
そこで思ったのは、あえて小説版のタイトルをもってくることで人々の興味をひかせることにしたのではないでしょうか。
げんに私もこうやって記事にしてしまっていますしね!
蝶の意味とは?
この映画に登場する蝶にいたってはいろんな人が解説しています。私も見た当初はまったく意味がわからなくて調べまくりました。
なお別エンディング版のみしか登場しない蝶のシーンもあるので要注意。
劇中で蝶が登場するシーンはこちら
①冒頭の荒廃したNYの道路
私は完全に見逃していたのですが、冒頭すぐにシーンがありました。よくある感じのポスターですが、ここだけ翻訳がついているのって意味深ですよね。
しかも蝶のマーク付き。何やら意味ありそうです。
②過去回想のなかでネビルの娘がやるジェスチャー
大人たちが切羽詰まっている状況で無邪気に親に話しかけるネビルの娘。私だったら絶対親の様子をみて何もいえなかったでしょう。この子は生きていたら大物になったでしょう。
おそらくここでわざわざ”チョウのジェスチャー”をすることに何かしらの意味を感じます。ただここでは単純に子どもの遊び以上の意味はないでしょう。
③ダークシーカーが突進してできた蝶のひび割れ【本編のみ登場】
偶然にも敵ダークシーカーの攻撃でガラスに蝶が浮かびあがっています。これは偶然なのかそれともわざとやったのでしょうか。
ただガラスに攻撃してヒビが偶然蝶のマークになるわけがないですから、制作側の何かしらの意味はあるのでしょうね。
④ダークシーカーがガラスに書いた蝶【別エンディング版のみ登場】
本編でみられない、敵ダークシーカーが手で描く蝶のマーク。ダークシーカーの間でなにかの意味のあるジェスチャーかもしれませんね。
⑤女性ダークシーカーの肩【別エンディング版のみ登場】
単純にこの女性ダークシーカーが人間だったころいれただろう蝶のタトゥー。もしかしたら、ダークシーカーになったあといれたかもしれませんけどね。
蝶という共通点はあるがそれぞれ意味が違っていて最後に主人公が納得してようやく意味をもってくる
この映画でたくさん登場する蝶のモチーフはそれぞれ登場するシーンで意味が違っていると私は思います。
- ①冒頭の荒廃したNYの道路の蝶→ただのポスターの一部
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②過去回想のなかでネビルの娘がやるジェスチャー→子どもの遊び
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③ダークシーカーが突進してできた蝶のひび割れ【本編のみ登場】→映画の演出
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④ダークシーカーがガラスに書いた蝶【別エンディング版のみ登場】→女性ダークシーカーを呼んでいる演出
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⑤女性ダークシーカーの肩【別エンディング版のみ登場】→ネビルがダークシーカーにも知性があるかも?と思わせる意味
単発では蝶のシーンはそれ以上の意味はないと思います。
ただ、ネビルが最後
『ここで蝶が登場するのは運命なのではないか』
とつなげることによって大きな意味につながってきます。
数年間孤独にNYで研究していたネビルは相当精神的にきていたはず。映画のなかでも、ネビルはアナの話をはじめは拒絶しています。
何人ものダークシーカーを犠牲にして研究するものの、成果のでない日々。家族が目の前で亡くなり、親友だった名犬・サムも亡くなってしまいます。
それが運命だなんて信じたくなかったのでしょう。
だからこそ
「神様がいったの。神様の計画。」
「何かが私にラジオを聴かせ、ここへ来させた。」
「あなたが昨夜自殺行為をした、それを私が助けた。偶然かしら」
とアナに説得されても、ネビルの心はまったく動きません。たしかにネビルの気持ちもよくわかります。
でもラストシーンの蝶のモチーフが登場することによって、娘がいっていた蝶のジェスチャーを思い出し、
『ここで蝶が登場するのは運命なのではないか』
と考えを変えるきっかけになったのではないかと思います。考えを変えたネビルのとった行動こそが、本編エンディング・別エンディングにつながっていくのです。
本編と別エンディング版の分岐は1時間27分36秒から。
アマゾンプライムにある本編とDVD収録の別エンディング版を同時に流して比較してみた結果、『1時間27分36秒』から分岐してくるので気になる方はチェックしてみては。
なぜ本編エンディングと別エンディングで曲が違うのか。
両方を比べた人ならわかると思いますが、アイ・アム・レジェンドは本編エンディングと別エンディングでエンドロールにかかる曲がまったく違います。
そのおかげ(?)か印象がまったく違ってきます。
本編エンディング:ボブ・マーリー『Redemption Song』
本編エンディング版のエンドロール曲はあのボブ・マーリーの『Redemption Song』という曲です。私は知りませんでしたが、めっちゃ有名な曲なんですよね。映画のなかでもネビルが『ボブ・マーリー知らないの?』とアナに問いかけるシーンがありましたよね。ちなみにサムを洗うシーンは同じくボブ・マーリーの『Three Little Birds』が流れます。
別エンディング: 曲名不明のクラシック
タイトルがわからなかったのですが、おそらくアイ・アム・レジェンドBGM集に収録されている曲のどれかだと思います。
別エンディング版をみるとまた違った印象がやってくる
まったく雰囲気の違う終わり方なので、別エンディング版を読むとまた違った印象をもつようになるでしょう。
なぜエンデイングの曲が違うのかもしっかり考察したかったのですが、私の頭がパンクしそうだったのでこの記事ではここまでにしておきたいと思います。おそらくボブ・マーリーが関係していると思われます。
この映画は特典つきのDVD版を借りてみるともっと面白い
ゲオで借りてきて別エンディング版をみたのですが、サブスクにはない特典映像がたくさんはいっていてとても楽しめました。
ぜひこの映画はDVDの特典映像も楽しんでほしいです。
締め
アイ・アム・レジェンドって本当に2007年の映画なのかっていうぐらい、今見返しても考察のしがいがある映画だなと改めて思います。それだけしっかりと作られている映画なんですよね。
多少の違和感すらも、興味をひかせくれるように仕上がっている。それがすごい。