タチカワの独り言日記

人間関係・家族関係など、思考を整理するために書いていくブログです。

【毒親持ち】毒母「私の言うことなすこと全て否定しやがって!!!」←私「は?」【ついに切れる】2019年1月16日更新

【2019年1月16日 更新】

タチカワの親は両親ともタイプは違いますが毒親です。

で、本日(2018年5月3日)に決定的なことがありました。

気分はまるで台風が現在進行系で心をえぐっている感じです。

なんでしんどい思いをこんなに抱えなければならないのだろうか…親のことで色々あると心臓を氷に浸されている気分になります。

しんどい。

この記事はついに毒親もちが毒親と決定的に決別した日について書いています。

・どんなことがきっかけで決別したのか

・決別した結果どうなったのか

・決別してよかったか

についてまとめています。

2019年1月現在の毒親と私の状況も追記していますのでぜひご覧くださいね。

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どんな毒親なの?

私の家族構成は祖父母・父母・弟一人です。

父も母も子ども全否定系タイプの親。

私のやることなすこと全て否定してきます。

今まで私のやることを肯定したことあったっけ…思い当たることが全くありません。

親がニコニコしているのは親の言うことに従ったときだけです。

高校の進路も決められましたね。

当時の私は特に行きたい高校もなかったので、ちょっと親の顔色を伺いつつ、「親が言うならいいか…」と従いました。

まあ、高校にいったら女性特有の人間関係に板挟みの悩みまくり、進学校だったため授業も難しく、私の成績は半分より下でかなり大変でした。

しかし大学に行かなきゃ、と思えたのもその進学校に行けたからなので一応いいこともありました。(大学に行かなければ、東京にも行こうと思えなかったし、夫にも出会うことはなかったので)

もっとも親としては高校で就職をさせたかったようでして、高校三年は特にしんどい思いをしました。

何がしんどかったって

「女が大学いっても無駄」

「女は就職に大卒なんて学歴はいらない」

とか言われたこと…家族の中に味方はいなかったので、すごく不安でした。

でも今振り返ると、よく知らない環境に飛び込もうと思ったな自分、と高校生の時の自分をほめてやりたいとすら思います。

がんばったぞ。

友達でも同じような境遇の子はいて、お互い励まし合うのが救いでした。

それでも家に帰ると否定の日々だったので、辛かったな…

家にお金は多分なかったと思います。

親は私より弟に大学を行かせたかったみたいです。

でも私は大学に本当になんとしてでも行きたかったので奨学金を借りていきました。

 

私今まで、肯定されたことあったかな…全く何も浮かんで来ませんが。

おかげで自己否定人間の完成ですよ。

2019年時点で完全に自己否定から脱出はできていませんが、当時よりははるかにマシだし、むしろ幸せな生活ができています。

生きている意味はありました。

両親とも過干渉=親の価値観を押し付けて来る

この親の子どもで一番しんどかったこと。

それは過干渉。

高校の進路にしてもいえることですが、「自分の言っていることが絶対に無難で正しい」と信じて疑わないのです。

つまり「親の価値観を押し付けて来る」ことは小さいころから私が大人になっても続いていました。

思い出すのも辛い。

父の顔色をうかがう母

父はちょっとしたことでもすぐに怒るタイプの人間です。

非常に頑固で父が右といったら右という昔のタイプの人でした。

父が家庭のなかで怒鳴るのは日常茶飯事のことで、私も弟も小さいころはいつもびくついていました。(今はなんとも思いませんが、見ていて気持ちのいいものではありません)

家族の団らんというものと無縁の食卓で、学校であったことをしゃべるといつも「黙って食べろ」と、言われましたね…

当然食卓にテレビもなかったです。

食べることが楽しいことだと知ったのはつい最近です。

夫の実家にいったとき、カルチャーショックを受けましたね。

誰も怒鳴らなかったし。

怒りっぽく頑固な父なので、母は怒らせないように父の言うことは常に従ってました。

私が大学の進路でもめたときも、私のことより父のことをいつも気にしてましたね。

味方ではなかったです。

「お父さんを怒らせないで」とよく言われました。

母親のことについて

親子関係で決定的なことがあったのは、母のほうです。なので母親について少し詳しく書いていきたいと思いました。

私の母は女の子は20代で結婚して盛大な結婚式をあげて新婚旅行行って子どもを絶対に産んで車を持って新しい家に住んで…というタイプです。

今の若い人たちをみても同じことを言えるのかと。

正社員で勤めきれない現実。

年金で暮らせるのかわからない私たち。

そりゃ私の母は大丈夫なんでしょうが、私の場合はもらえないものとして現在考えています。

会話をしてもどこがずれを感じますし、もう疲れていました。

今日(2018年5月3日)親子関係で決定的なことがあった件

やっと本題です。

今日新潟では浅田真央さんのスケートのショーがあって母から誘われてました。

正直私は結婚して引っ越しをしたり仕事で忙しい時期でした。

母と会っても無難な会話をすることに疲れてしまうので、嫌だなと朝から憂鬱でした。

結局母はスケートショーのチケットは取れず、新潟をぶらぶらすることに決めたようです。

そもそもスケートのショーがあるから行こうかなと思っていたのに、なんでわざわざ会わなきゃなんだとさらに私は憂鬱でした。

断ったらかなり怒るのは目に見えていたので、仕方なくついていきました。

ところで5月といえば母の日ですね。

母の日、私にとってはある意味一番憂鬱な日です。

母の日って日ごろの感謝をする日ですよね。

私の母は「何かしろ」と要求してきます。

前日にもLINEで「何かしろ」と要求してきました。

何をしろと?

本当に嫌でした。

そもそも本人から感謝しろよって言われるのって本当にどうなの?って思います。

もうブログに書き起こすときに思い出すのも辛い。

母の日に娘から感謝される自分が好きなんでしょうね。

その感謝も空っぽなんですが、それでいいのかよって思います。

仕方なくお昼代を出しました。

辛いな~がんばった自分。

無難に会話をしつつ、昼過ぎのそこそこ混んでいるカフェに入ったのですが、そこで事件は起きました。

母「私の言うことなすこと全て否定しやがって!!!」←私「は?(ブチ切れ)」

私が結婚してからというもの私の両親の「実家に帰ってこい顔をみせろ」コールが頻繁になるようになりました。

会いたくない私は仕事があるからと、のらりくらりとかわしていたのです。

しかし当日も会ってからさんざん母に言われました。

ついに私も「帰るのが面倒だ」と伝えたのです。

すると、

母「私の言うことなすこと全て否定しやがって!!!!!」

と突然キレだしたのです。

一瞬周りの目が集まったのを感じましたが、私も素がでてしまい、

私「は?」

私がブチ切れてるのに気づかない母は続けます。

母「私がせっかく提案してるのに全部否定して何が楽しいんだて?!〇✖̻̻▢※¥@)!!!!」(突然訛る)

そのあとも何か言ってたような気がしますが、もはや脳が覚えているのを拒否しているようで母が何を言っていたのか全く記憶にありません。

いつもだったらここで黙ってしまう私ですが、もう私は実家にいるときの私ではありません。

東京にいって色々な人をみて経験をし価値観を広げた私です。

こんな私でも好きだといってくれる夫がいる。

認めてくれる友達もいる。

もういいと、私は腹に力を込めていいました。

私「いい加減にして!私はお母さんの言っていることを否定している気はない!!私は私の意見を言っているだけ!!!」

目を見てはっきり言いました。

はっきり反論したのはこれが初めてではないのですが、今までのものはきちんと親に真の意味で届いていないのがわかっていました。

だから親を説得するのは半ば諦めていたのですが、今回は違いました。

母も怒っていましたが、一瞬ひるんだ気がしました。

それでも母は続けます。

決定的なことをついに口にしました。

母「どうせ私たち家族と縁切りたいと思ってるろ?!」

私はいつかこういわれたら絶対にいってやろうと腹をくくっていたので、

私「うん。(全肯定)」

迷いませんでした。

いやコントみたいなんですけど、本当に上記の会話がありました。

でも笑ってください。

虚を突かれたのか母は何も言えないようで、口を開けてパクパクさせていました。

それから黙りました。

しばらくすると、

母「…わかった。じゃあもう連絡しないからね(母としては皮肉ってる)」

私「うん。ほうっておいて」

まあ私のことはほうっておいてって前にもしてるし、その前もしてますが、一度だって理解されたことないですけどね。

だからいつまでほうっておけるのかある意味見ものです。

 

でも縁を切りたいのね、っていう会話に素直に肯定してしまった自分には自分でもびっくりです。

 

まあ縁を切りたいのねって子どもに持ちだすか普通、とも思いますが。否定してほしかったんでしょうね、残念でした。

母が突然きれて申し訳なかったです、隣の席の人。

いやー疲れました。そのあとはさっさと解散でした。バンザイ。

 

まとめ

子どもをほおっておくということができないので、あの親は。なのでいつまで放任できるかみものですね。このまま勘当してもらっても私は何も困りませんので。ただ、私は絶対に母の「お前なんか産まなきゃよかった」って言葉は絶対に忘れません。まだ禍根は私の心に刺さっています。私は自己否定をやめることはいつできるのかわからないですけれど。取り急ぎ本日あったことはブログのネタにしてやりました。

ここまで見ていただいてありがとうございました。